【雑談】あゆみ鍼灸院の道のり(地元で開業するまで)

道のり

2024年9月からちょこちょことブログを更新するようになって、有難いことにアクセス数が増えてきたと同時に、お問合せや新患さんも増えてきました。

これまでのように口コミからの新患さんや、地元の人からのご紹介だと私のことは割と知ってる人が多いと思いますが、ブログ経由で治療予約をしようと思うと、「あゆみ鍼灸院の人ってどんな人なの?」と思っている方もいると思います。

最近はSNS集客もしていませんので、私という人物が少しでもお伝えできるように、鍼灸師の私のことを振り返りつつ分析してみようと思います。

かなり長文ですが、お付き合いください(汗)

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私の履歴書

私

1976年(昭和51年)4月生まれ。
両親と弟、妹の5人家族で幼少期を過ごしました。ピアノを習い、保育園の友達と遊ぶのが大好きな子どもでしたね。

北浦町立北浦小学校→北浦町立北浦中学校→私立延岡学園高等学校→佐賀女子短期大学

小学校4年生から入部したバレーボール。私の学生時代はバレーボールでできていたと言ってもいいでしょう。

小学校6年で全国大会出場、中学校3年で宮崎県選抜チームとして全国大会出場、高校2年から3年の時に、春高バレー、インターハイ、国体と、宮崎県内では1セットも落とすことなく全国大会に出場しました。

中学と高校では主将も務め、多分他の人よりは少し違った意味で、いろいろと経験が多いバレー人生だったかもしれません。

短大を卒業後は、延岡市内のジャスコ(現イオン)の中にあるカメラ屋さんで、1年半ほどバイト生活をしていました。「正社員として働かないか」と声をかけてもらったのとちょうど同じ頃に、私の父方の叔母さんから、「鍼灸の専門学校に行ってみない?」と誘いがあり、一人千葉県へと旅立ちました。

平成11年4月、東京都渋谷区にある、日本鍼灸理療専門学校に入学し、3年間の学校生活を経て、国家試験に合格、「はり師」「きゅう師」の資格を得ました。

鍼灸師になってからの経歴

ひよっこ

専門学校在学中も、1年から2年生までは接骨院でアルバイトをしていました。3年生になってからは、鍼灸院でアルバイト。その頃は学生であり資格は持っていないので、雑用がほとんどでしたが、院長先生や先輩たちにいろいろと教えてもらったり、飲み会や食事に連れて行ってもらったりして、遊びも学びもとても充実していました。

専門学校でのクラスの仲間ともとても仲良しで、田舎者の私に本当によく接してくれて、とても刺激的でした。

専門学校に通っていた頃は、叔母さんの家に下宿させてもらっていましたが、卒業してからは一人暮らしを決行、千葉県松戸市の整骨院に就職しました。

その年の年末、ずっと付き合いのあった現在の私の旦那の自宅で、旦那のお父さんお母さんから、そろそろ結婚したらどうかと私たち二人に話がありました。

私はまさか自分が結婚することになるなんて思ってもいなかったのでそれはそれはびっくりしましたよー。

新居から仕事場まで、車だったら通えない場所ではありませんでしたが、電車通勤となると遠回りになってしまうため、せっかくたくさん可愛がってもらっていた整骨院を1年ほどで退職することになりました。

平成16年4月に入籍して、11月に結婚式を挙げ、新婚旅行にはニューヨーク、カナダのナイアガラの滝、ラスベガスを旅しました。

それから短い間ですが、整形外科でマッサージのパートをし、その後、専門学校在学中にお世話になっていた鍼灸院でまた仕事させてもらうことになったのですが、その時に妊娠していることが分かりました。

院長先生も、一緒に働いていた鍼灸師の先輩たちもめちゃくちゃ喜んでくれていたのですが、ある日、出血があり、急遽産婦人科を受診すると流産しかかっていると・・・

院長先生から、「赤ちゃん第一に考えて!仕事は大丈夫だから!」と言っていただいて、本当に急な退職になってしまいましたが、おかげで安静にできたので、無事に出産まで終えることができました。

なんだかここまでざっくりと自分史を振り返ってみると、ずっと順風満帆に人生を進めているようにも見えるのですが、私の人生の中で一番辛い時期がじわじわと始まっていきます。

アトピーとの壮絶な戦いで闇堕ち

闇堕ち

もともと幼少期から皮膚が弱かったのですが、アトピーと思われる症状が始まったのは、専門学校の時の3年生の頃、手の指が痒くて痒くて、包帯だらけで過ごしていた時期があります。

鍼灸師といえば「手」はとても大事な部位。鍼もお灸も手を使うし、何より患者さんに触れなければいけません。

なのに、どんどん広がっていく湿疹・・・東京、千葉、いいと言われる皮膚科にはどこまでだって行きました。診療時間までの間に長い長い行列ができるほどの皮膚科もありました。でも、どんなに薬を塗っても良くなるのは3日ほどで、すぐまた湿疹ができて強い痒みが襲ってくる・・・

指の湿疹は、いつの間にか上半身全体に広がっていました。顔はどうにか化粧で隠していましたが、洋服をめくれば湿疹があるのは一目瞭然です。それでもまだこの頃は、この先のもっとひどい状態になるより100倍マシだったと思います。

まぁそんなこんなで、私はアトピーと長いこと戦うことになるのですが、書き出すと本が何冊も仕上がってしまうので、また別の機会に小出しに記事にしていきますね!

でも、このアトピーのどん底生活がきっかけで、私の中で、「薬とは?」「医師とは?」「西洋医学とは?」と疑問を持つようになり、時間が経てば経つほど、その問いの答え合わせができるようになりました。

そして、コロナ時代で完全に西洋医学は闇の部分が大半だと理解できましたね!

師匠との出会い

修行中

アトピー地獄は続いていましたが、その間に私の母が悪性リンパ腫で入院生活をすることになりました。

1歳になるかならないかくらいの長男を連れ、千葉と宮崎を行ったり来たりする生活。実家に戻っているときは割とアトピーは落ち着いていましたが、外に出るときは帽子と大きめのサングラスで顔を隠し、暑い夏でしたが長袖で腕を隠していました。

ふと、ネットで延岡市内にある「丸井庵」という治療院を見ました。どうやら「お灸」に力を入れているようで、せっかく実家に戻っているし、治療してもらおうと予約を取りました。

それが、師匠との出会いです。

実家は北浦で、今は母が入院中だから帰ってきていること、アトピーがなかなかよくならなくて辛いこと、自分も鍼灸の資格を持っていることもちゃんと伝えました。

そして、お灸をしてもらいました。私も鍼灸師なので、お灸のことは知っている・・・はずでしたが、師匠が選んでくれたツボや、お灸治療の考え方など、目から鱗の話ばかりでした。

通える限りお灸をすえてもらいに行ったのですが、嘘みたいに日に日に皮膚の赤みがなくなり、痒みが弱くなっているのが分かり、毎日が感動でした!

もっとじっくりすえることができれば、もっと良くなっていたのかもしれませんが、千葉の自宅にも戻らなければいけないので、その時は中断することになってしまいましたが、私の中で「お灸」というものの見方が変わりました。

そして、旦那に相談というか、もう私の中では決定事項だったのですが、「丸井庵」という延岡にある治療院の院長先生のところで鍼とお灸の勉強をさせてくれ!と強引に頼み込み、今度は自分の治療ではなく、先生のもとで修行させてください!と丸井庵の院長先生に申し出ました。

多分、ちょうど30歳くらいの頃だったと思います。鍼灸師としての修行のスタートです。

母は入院中、旦那とは別居状態、1歳の息子は実家近くの保育園に預け、父に迎えに行ってもらい、生活費は旦那に仕送りしてもらっていましたが、自分でも少しは稼がなきゃと仕事(修行)が終わってから往診に行くという生活。

私は丸井庵の従業員ではないので、給料はありません。むしろ、こっちが勉強代を払わなきゃいけないくらいです。でも院長先生はガソリン代を出してくれました。だからこそ、絶対に院長先生の技術を全部吸収するつもりで日々を過ごしました。

千葉で開業、そして東日本大震災

大震災

約3年、丸井庵でみっっっっっちり修行させてもらえたおかげで、私はこれまでより自信を持って、堂々と鍼灸師だと名乗れるようになりました。

母も退院し、落ち着いて生活できる環境を千葉に構えることになりました。そこは元々鍼灸院兼住居で開業していた場所だったので、旦那と私、そして3歳になった長男とで新しい場所で新しい生活が始まりました。

無事に近所の保育園にも通えることになり、私も、せっかく治療院として使っていた部屋があるので、小さな鍼灸院を開業しました。もうホントに知り合いだけしか来ないような細々とした治療院です。

千葉に戻ると、相変わらずアトピーは悪化しましたが、結局また近所の皮膚科に通ってみたりして、薬を使い、騙し騙しアトピーと付き合っておりました。

保育園のママ友さんとも仲良くしたり、当時のSNSの主流だったmixiで繋がった女性鍼灸師さんたちと交流したり、新しい出会いを満喫できていた頃にやってきたのが、東日本大震災です。

気が狂いそうになるくらい何度もくる余震や、デマだかホントだか分からない原発の放射能の情報、そうこうしているうちに、第二子を妊娠していることが分かりました。

東日本大震災が起こる数ヶ月前に、実は流産していたこともあり、今回の妊娠では早めに実家に帰って里帰り出産をしようと決めました。もちろん、長男も連れてです。

地震にも放射能にも怯えることなく、安心安全で過ごせる実家。東日本とはまるで別世界のようでしたね!

第二子出産後3ヶ月で、あゆみ鍼灸院開業!

新たなスタート

北浦の実家には、使っていない部屋が一つありました。弟が使っていた部屋で、弟が自立してからは物置部屋と化している様子。玄関からも近いし、待合場所にできるスペースもある。トイレは家族と共用になるけど、そこは理解してもらえればどうにかなる。駐車場は腐るほど停められる。

千葉に戻ると悪化してしまうアトピー、なかなか落ち着かない災害の状況、子ども2人を抱えて千葉に戻るという選択肢は、私にはありませんでした。

まずは実家の両親に、空き部屋を治療室として使ってもいいか聞いてみました。それから旦那に、「私、実家で開業するわ!」と返事も聞かずに宣言だけしたような気がします。

それから猛スピードで開業準備ですよ!

あまりよく覚えてないのですが、壁紙を貼り直し、床も張り替えました。待合のソファや治療ベッドを購入し、エアコンも取り付け、嬉しかったのが、私のおじさんが看板を作ってくれたこと!

保健所や市役所での手続きもソッコーで終わらせ、2012年4月にあゆみ鍼灸院開業となりました!

開業から12年

初心

どうにかこうにかコツコツと地元北浦町で鍼灸院を続けられております。

多くの人との出会いと、支えてくれた家族のおかげです。そして、たくさんの患者さんが、より私を治療家として育ててくれたと本当に感謝しています。

若干21歳で、この業界に足を踏み入れて、振り返れば「あっ!」という間ですね。鍼灸師をやめてないってことは、きっと私には天職なんでしょう。

まだまだこれからです!やりたいこともたくさんあるので、初心を忘れず、さらに加速して進んでいきたいと思います。

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